大正11年8月 | 初代里和助次郎が、当時現在地に於て操業していた大和製紙の工場を賃借し、里和抄紙部として発足した |
昭和8年7月 | 助次郎長男 里和儀助の経営していた荒川区尾久町所在の小台製紙合資会社と合併し、里和製紙株式会社を設立、その富士工場として黒ちり専門工場となる |
昭和24年3月 | 独立採算制を目的として本社より分離独立し、富士里和製紙株式会社を設立、助次郎次男 里和徳次が二代目代表取締役となる |
昭和35年9月 | 落雷による失火で工場を全焼し、約4カ月間休転。お取引先各位の温かい支援に守られ再建に成功 |
昭和37年12月 | 徳次長男 里和治が三代目代表取締役に就任 |
昭和40年3月 | 白ちり紙へ全面的に転抄する |
昭和46年10月 | 2号抄紙機を増設。田島鉄工所製 丸網ヤンキー抄紙機 径4,100mm 幅1,750mm |
昭和52年8月 | 日本工業規格(JIS)表示許可工場となる。JIS P4501 許可番号377091号 |
昭和54年8月 | 1号抄紙機を更新。田島鉄工所製 丸網ヤンキー抄紙機 径4,100mm 幅1,750mm |
昭和58年3月 | 白ちり紙・トイレットペーパー併抄からトイレットペーパー専抄となる |
平成4年8月 | 2号抄紙機フォーマーパートをベストフォーマに更新する(川之江造機製造) |
平成9年5月 | 原質未晒工程を一新。高性能スリットスクリーンを中心とした高濃度処理を実現した |
平成11年5月 | 自動包装ライン4系列を整備 |
平成11年8月 | 原質工程に精選スクリーン2台、1次~3次クリーナーを新設 |
平成13年8月 | 高濃度パルパーシステムを導入 |
平成15年8月 | ノンストップワインダー2系列新設 |
平成16年4月 | 治長男 里和義政が四代目代表取締役に就任 |
平成17年3月 | 2号抄紙機ワイヤーパートのクレセントフォーマーへの改造が完了 |
平成19年10月 | 紙管製造機導入により紙管を内製化 |
平成20年8月 | 1号抄紙機ドライヤーに溶射加工を行う、1~3号包装機を更新し段ボールケーサーを配備 |
平成21年10月 | 排水処理にポセイドンPPMセル導入 |
平成30年1月 | 2号抄紙機ドライヤをスチールヤンキーに改造 |
令和元年8月 | 3号ワインダーを更新 |
令和3年3月 | 3号ワインダーにイタリア Gambini社製 TouchMax Twinを導入し、ラミネーション・エンボス製品の製造を開始 |